2025年1月13日月曜日

手段と目的

 私たちは何をしに教会に行くのでしょうか?おそらくその答えは礼拝しに、神様を賛美しに、陪餐を受けに、み言葉を聞きに、教会の人たちとの交わりに、クリスチャンとしての義務を果たしにとさまざまあります。しかし、あまり深く考えられてないのかもしれませんが、これらは目的ではなく、あくまでその目的に達成するための手段です。

例えば、受験生が神社にお参りに行きます。その目的は受験に受かるためのご利益を求めることで、お参りはそのための手段です。お参りのために神社に行くというより、受験が受かるように神社にお参りに行きますのほうが正しいです。

そうなると、礼拝も実は手段です、その目的は、神様と関係を築き、育むことです。礼拝にしても、神様を賛美するにしても、陪餐を受けるにしても、み言葉を聞くにしても、教会の人たちとの交わりにしても、すべてそれが目的です。

そうとは思いませんか?


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