よく聖職者は自分のことを神の僕だと言います。使徒パウロも各教会への手紙では、自分はキリストの僕だと紹介しています。この”僕”は、聖書の原語であるギリシャ語では、使用人と奴隷の両方の意味があります。パウロは自分がキリストの使用人と言っているのか?それともキリストの奴隷と言っているのか?
それを分かるために、まず使用人と奴隷の違いを理解する必要があります。使用人と奴隷の一番大きな違いは主権があるかどうかだと思います。例えば、わたしはある人の使用人としましょう、わたしは不満を持ち、いつでもやめて、離れることができます。しかし、奴隷であれば、そうはできません。
パウロは救世主キリストに従って、キリストの道を歩み、後戻りはできないと覚悟しているはずです。一般ではパウロはキリストの使用人を言っているのだと捉えますが、わたしはパウロは自分がキリストの奴隷だと思います。そういう私もキリストの奴隷です。
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