私は学校の先生を六年間していました。個人の電話番号を一切保護者と学生に教えない、学校にいる間だけ授業を行い、学生に知識を与えれば、それで責務を果たすと思う先生もいます。これはこれで正しい考えです、しかし私にとって、先生とは仕事ではなく、一種の使命です。学問の知識を与えるだけではなく、人格の育成なども、先生として果たさなければなりません。
私は聖職を目指したのは、そういう考えの延長かもしれません。聖職者は主日で説教や礼拝を司式するのではなく、信徒一人一人が神様との関係を築き、育む助けをしなければなりません。
先生も聖職も仕事ではなく、使命そのものです。仕事か、使命か、どう分けるのか、あまり良い例えではないのかもしれませんが、一生暮らせるお金を手にしたら、やめるのが仕事で、それでもつづくのが使命です。