2025年6月23日月曜日

花婿と介添え人

聖職者として、主日礼拝に説教台に立ち、会衆の視線を浴びて、私たちがこの舞台の主人公であると勘違いしていないのでしょうか?

二千年前に、多くの人が洗礼を受けるため、洗礼者ヨハネのところにやってきました。そして、彼に従って、弟子となった人も大勢いました。洗礼者ヨハネがあのメシアではないか、あるいは偉大な預言者エリヤだと考える人もいました。しかし、洗礼者ヨハネ自身は勘違いしていませんでした。

洗礼者ヨハネは、花嫁を迎えるのはあくまで花婿であって、自分はただの花婿の介添え人だと分かっていたからです。人々に悔い改めを呼びかけて、洗礼を授けるのは、すべてこの花婿である主イエスが来られた時、スムーズに花嫁を迎えて、花道を歩むための準備でした。

主イエスは、救われる人々、すなわち教会を迎えるために再び来られます。今度は、私たちが介添え人となって、耳を傾けて、主イエスの声を聞いて、その準備をしなければなりません。もっと多くの人に主イエスを信じて、主イエスを受け入れて、そして、私たちの仲間である教会になってもらわなければなりません。

勘違いしてはなりません、私たちは介添え人であって、主イエスこそ花婿です。主日礼拝の主人公は、私たちではなくて、主イエスです、そのため、主イエス自らのみ言葉を会衆に届けなければなりません。主日礼拝という晴れ舞台で、私たちは一介添え人に徹して、会衆の視線が主人公である主イエスに浴びるように、説教台を主イエスに譲りましょう。

会衆のすべてが耳を傾け、その主イエスのみ言葉を聞いて大いに喜べるように、また介添え人の私たちも喜びで満たされていることができるように祈ります。

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