私は思う リンクを取得 Facebook × Pinterest メール 他のアプリ 5月 18, 2026 "何々と私は思う"って言ったとき、自分の考えのことを示すことになります。しかし、キリスト者としてこう話すとき、別の意味を持ってほしいと私は思います。それは、"私は神さまがそう思われるのを思う"。つまり、自分の考えではなく、神さまの考えに基づくのです。その神さまの考えを知るため、私たちは聖書を読み、勉強するのです。 リンクを取得 Facebook × Pinterest メール 他のアプリ コメント
神さまを一番にする 12月 13, 2025 ほとんどの教会は、昔では壮年会、青年会、婦人会など、盛んに活動していました。今でもその活動を一部では行っていますが、メンバーが帰る人、年を取る人で、段々と寂しくなっているのが現状です。 あの頃、皆さんはあんなに熱心だったのに、どうして人は増えないのかと疑問にも思います。答えではありませんが、その活動の中に、神さまはおられましたか?神さまを一番にしましたか?こう問わざるを得ません。 どんな活動も、どんな交わりも、神さまがおられなければ、祝福されないと思います。 常に神様のみ言葉、祈りなどを大切にしないといけないと思います。 続きを読む
寛容② 7月 24, 2025 寛容とは、他人の意見が自分と異なる場合、意見の違いがあることを認めて、その違いを尊重し、発言の権利を与えることです。そして、異なる立場の存在を受け入れるのであって、その立場まで受け入れるのではありません。 続きを読む
説教《共にいる》 12月 21, 2025 日課:マタイによる福音書1:18-25 イザヤ書7:10-17 ローマの信徒への手紙1:1-7 今日は、降臨節の最後の主日を迎えました。毎週一本ずつ灯してきたアドベントクランツのろうそく、今日ついに、四本すべての光を放っています。その光に導かれるように、私たちの心も、主イエス・キリストのご誕生を記念する時へと向けられていきます。いよいよ、その恵みを迎える準備が整いました。 今から二千年以上前、一人の男の子が、おとめから生まれました。医学も科学も今ほど発達していなかった当時、おとめが身ごもり、子どもを産むなんて、とても常識では考えれらないことです。だから、これはただの物語だと受け取る人が、決して少なくありません。 しかし、物語のように思われるこの出来事は、実はその誕生からおよそ七百年も前に、神が預言者イザヤを通して、あらかじめ告げておられた約束だったのです。聖書はこう語っています。「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」 そして、時が満ち、その約束はおとめマリアを通して現実となりました。イエスの誕生によって、七百年もの時を隔てて語られた神の言葉が、ついに歴史の中で確かな事実として実現したのです。 今日の礼拝を通して、「インマヌエル」と呼ばれるこの御子の誕生が、この聖堂に集まる私たち一人ひとりの心に、どれほど大きな恵みをもたらしているかを、ぜひ深く感じていただきたいと思います。 まず、旧約の時代に目を向けてみましょう。イスラエルの民がエジプトを出て、約束の地カナンへと向かう旅路の中で、神は、昼は雲の柱となって進むべき道を示し、夜は火の柱となって足元を照らし、民を守り、導かれました。そこには、民と共におられる神のみ姿がありました。 やがて神は、イスラエルの民に幕屋を造るように命じられました。神はその幕屋に宿り、再び民と共におられました。さらに時が進み、ダビデとソロモンの時代になると、一時的な幕屋に代わり、より堅固で、永続的な神殿が建てられました。神はその神殿に宿り、民と共におられ続けたのです。 しかし、神の「共におられる」という思いは、建物の中にとどまりませんでした。新約の時代に至り、神はこれまでにない、さらに完全な形で、民と共におられることを示されました。それが、一人の男の子——イエス・キリストの誕生です。主イエス... 続きを読む
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