2026年1月1日木曜日

説教《神は救い》

 あけましておめでとうございます。新しい年の初めに、私たちは主イエスの“割礼”と“命名”という、二つの大切な出来事を覚えます。ユダヤの習慣では、生まれて八日目に男の子に割礼が施されます。主イエスもまた、人としてこの世に生まれ、律法に従って、割礼を受けられました。


元旦は、ちょうど主イエスの降誕から八日目にあたります。この日、救い主に「イエス」という名前が正式に与えられました。


私たち一人ひとりもまた、生まれたときに名前を与えられてきました。その名前には、きっと家族の思いや願いが込められているでしょう。「健やかに育ってほしい」「人を思いやる人になってほしい」、親は子どもに名前を付けるとき、その子のこれからの人生に希望を託すのです。


では、「イエス」と名付けられたこの幼子には、どのような使命が託されていたのでしょうか?新しい年の始まりにあたり、この御名に込められた神のみ心を、私たちもしっかりと受け止めていきたいと思います。


聖書によれば、「イエス」という名前をお与えになったのは、母マリアでも、父ヨセフでもありません。父なる神ご自身です。マリアが身ごもったその時すでに、その子を「イエス」と名付けるように告げておられました。では、なぜその名前は「インマヌエル」ではなかったのでしょうか?というのも、神はすでに預言者イザヤを通して、「おとめが身ごもって男を産み、その名はインマヌエルと呼ばれる」(マタ1:23)と約束しておられたからです。

ここで注目すべき大切な点があります。「インマヌエル」は、“付けられる名前”というより、“呼ばれる名前”だということです。インマヌエルとは、「神は私たちと共におられる」という意味で、これは、人間の側から見た救い主の姿を表しています。つまり、人々は、この方の存在そのものを通して、確かに「神は私たちと共におられる」という現実を見い出すのです。


一方、「イエス」という名前は、ヘブライ語で「神は救い」の意味を持ちます。この名前は、神の側から示された救い主の本質と使命を表しています。つまり、独り子が地上に遣わされた目的は、人を罪と死から救い出すという、神の確かなみ心にありました。その神の救いのご計画が、「イエス」という名前に込められているのです。


多くの人は、全能の神であれば、「光あれ」と言われたときに光があったように。救いもまた一瞬で実現できるのではないかと考えます。そのため、人は、自ら救いを得ようとして、さまざまな手段を試み、善い行いに励み、努力を重ね、「神に喜ばれる者にならなければ」と思い込んでしまいます。


しかし、神の救いの道は、人間の想像をはるかに超えるものでした。「イエス」と名付けられた神の子は、まことの神でありながら、あえて人となられ、人間の姿で現れ、私たちと同じ世界のただ中に来られました。病気の人を癒し、失われた者を捜し、罪人に手を差し伸べ、ついに、すべての人の罪を負って、十字架にかかり、死んで葬られ、三日目に復活されました。


その全生涯こそが、「イエス」、すなわち「神は救い」という御名の意味を、余すところなく示しているのです。


主イエスが弟子たちに祈りを教えておられたとき、最初に口にされた言葉は、「み名が聖とされますように」でした。祈りの冒頭にこの願いが置かれていることは、神の御名がいかに尊く、中心的なものであるかを示しています。


今日の旧約聖書、民数記においても、神の御名こそが祝福の源であることが語られています。神は「私の名をイスラエルの人々の上に置くとき、私は彼らを祝福するであろう。」と約束されました。神の御名には、人を守り、照らし、恵みを注ぎ、そして、平和を与える力があるのです。


そして、今日の使徒書、フィリピの信徒への手紙は、神が主イエスを高く上げ、「イエス」という名前を、いかなる名前にもまさる名前としてお与えになったと告げています。それは、天にあるもの、地にあるもの、地の下にあるものすべてが、この御名の前にひれ伏し、イエス・キリストを主と告白するためでした。


このように、「イエス」という名前は、決して単なる呼び名ではありません。その御名には、天地創造の初めから決して変わることのない神のみ心と、人間への計り知れない愛が深く込められています。だからこそ私たちは祈るとき、「イエスの御名によって」祈るのです。この尊い御名は、確かに私たちを父なる神ご自身へと結び付けてくれるのです。


兄弟姉妹の皆さん、新しい年の初めにあたる今日、私たちはもう一度、「イエス」と名付けられた救い主を、心に迎えたいと思います。


自分の力では救うことのできない私たちのために、神はその独り子を世に遣わし、「イエス」という御名を与えて、そのみ心を明らかにされました。この御名を呼ぶとき、闇の中に光が灯され、私たちの内に新しい希望が芽生えます。


だからこそ、この一年も、私たちはこの「イエス」という御名を繰り返し呼びながら歩んでいきましょう。この御名と共に始まり

、この御名に支えられ、この御名に導かれて歩む一年としましょう。

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