先日、あることを聞かれました。” 主イエスを信じるが、洗礼しないとどうなるのか?”
私は疑問に思いました。主イエスを信じるのに、洗礼しない人はどういう人でしょう?
私にとって、信じて、洗礼することはごく自然なことです、洗礼はその一連の過程の一部に過ぎません。ですので、洗礼しない理由は思い浮かびません。
しかし、突然、その理由は分かったような気がしました。一般の人にとって、洗礼はいわゆるキリスト教の入信に当たる儀式で、洗礼することによって、キリスト教の信徒になるということです。だからなんとなく躊躇することが理解できます。すなわち、キリスト教を宗教として捉えているので、自分がこれから宗教の一員になることの不安など、どっかにあるのではないかと思います。
これは全くの違いで、創造主である神、その独り子主イエスを信じて、主イエスと共に死に、復活する決心が洗礼の表れです。洗礼は、決して入信の儀式ではありません。
ですから、主イエスを信じるが、洗礼しない人は、本当に主イエスが唯一の神である創造主であることを信じるのか?
0 件のコメント:
コメントを投稿