2025年2月4日火曜日

蝋燭

 私が行っている教会は礼拝の前に、ろうそくをつけます。どうしてろうそくをつけるのかと言いますと、イエスは光ですから、ろうそくの灯がイエスの光を表し、礼拝中にイエスが私たちとともにいるのです。

それ、実は後付けの解釈で、本来はそうではありません。キリスト教が中世期の時に迫害され、教会も壊され、キリスト者は余儀なく地下に潜って、礼拝をせざるを得ません。地下は暗くて、それでろうそくつけて礼拝をしていました。これは何十年、何百年も続いて、ようやく迫害が止まって、彼らが地上に上がっても、ろうそくをつけることは一種の伝統、習慣となってしまいました。そのため、礼拝のたびに、ろうそくをつけることにしました。

後世の人はその歴史が知らず、おそらく誰かがどうしてろうそくをつけるのかと質問し、それで考え出したのは最初に書いた通りのことです。ろうそくをつけなくても、イエスは私たちと共います。ろうそくをつけるのはこの宗派、この教会の伝統で、この伝統をちゃんと守ることも私は大切(必須ではないが)だと思います。ろうそくをつけて、イエスがわたしたちとともにいることを”感じる”ことで、神様との交わりが深まると思います。

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