教会の使命を理解するのに、まず神の使命を理解することです。神の使命を理解するのに、まず、使命を理解する必要があります。使命は英語でMissionです、これはラテン語のMissioから来ています、本来は派遣という意味です。
神の使命、Missio Dei、つまり神の遣わし、本来は三位一体の神の遣わしを意味します。これは御父が御子と聖霊を遣わすということです。神の使命を理解するのに、御父が御子と聖霊を世に遣わす目的を知ることです。さて、その目的とは?
教会の使命を理解するのに、まず神の使命を理解することです。神の使命を理解するのに、まず、使命を理解する必要があります。使命は英語でMissionです、これはラテン語のMissioから来ています、本来は派遣という意味です。
神の使命、Missio Dei、つまり神の遣わし、本来は三位一体の神の遣わしを意味します。これは御父が御子と聖霊を遣わすということです。神の使命を理解するのに、御父が御子と聖霊を世に遣わす目的を知ることです。さて、その目的とは?
教会の使命は拝礼と神の使命に参与するという話をしました。ここでは主に後者について話します。神の使命というと、おそらく多くの人はマルタによる福音書第28章の大宣教使命を思いつくでしょう。しかし、大宣教使命は神から与えられた使命であって、神自らの使命ではありません。ややこしい話ですが、神の使命を果たすために、神から与えられた使命です。
となると、神自らの使命は何なのかを理解し、教会としてその使命に参与する必要があります。神の使命について、次回話します。
教会の使命は神を礼拝することだと思います。しかし、これを言ったら、主日の礼拝を想像するでしょう。確かに、主日の礼拝も重要です、しかしそれだけではありません。礼拝は、実にもっと広く、深い意味はありますが、ここではその話をしません。簡単に言うと以下の通りです。
教会の使命:
①神を礼拝する(いわゆる主日の礼拝)
②神の使命に参与する(これも神を礼拝すること)
教会は信仰を告白した人の集まりと言いましたが、ヨハネの手紙壱によると”誰でも、イエスを神の子と告白すれば、その人の内に神はとどまってくださり、その人も神の内にとどまります。”、すなわち聖霊の宮です。私たちはキリストの体であり、聖霊の宮です。なんとも素晴らしいことですね。この身分をもって、神に与えられた使命を果たしましょう。
次回は教会の使命について話したいと思いまう。
教会はいわば信仰告白した人々の集まりで、この集まりはパウロがキリストの体と表現しています。
キリストは教会の頭であり、教会はキリストの体です。頭と体は切り離せない関係で、教会である私たち一人一人は、一つの体であり、その体の一部分です。
一つの体であるゆえに、これは一体性を現し、私たちに与えられた使命を、一丸となって成し遂げなければなりません。その一方私たちは多くの部分から体になるので、それを多様性を現し、私たちはそれぞれ異なる賜物を持ちます。
使命を知る前に、まず教会を理解する必要があると思います。キリスト信仰が分かっている人にとって、教会は建物ではないことは明白だと思います。
聖書に出てくる教会のギリシャ語はエクレシア、これは定期的に招集される団体、または共通の信仰を持つ会衆、いわば”人”のことです。では、この人はどんな人でしょうか?
イエスは弟子たちに自分はどんな者かと問われた時、ペトロが「あなたがメシア、生ける神の子です。」と答え、イエスは「私はこの岩の上に私の教会を建てよう」と言っておられました。
すなわち、教会は信仰告白した人の基礎の上に建てられることです。
神との関係を築く方法を見てきました、まとめますと:
1.神を知る(聖書を読む、聖書の学び、説教を聞くなど)
2.神と交わる(礼拝、日課、祈り、断食、リトリート)
3.神に仕える(教会の兄弟姉妹に仕える)
私たちは、神と関係を築くうえで、次に、神から与えられた使命を成し遂げるのです。
その使命とは何でしょうか?
天におられる神に仕えるにはどうしたらよいのでしょうか?イエスが世の終わりの日について語られた出来事の中に、その答えがありました。
王はある人たちにこう言いました「お前たちは、わたしが飢えていたときに食べさせ、のどが渇いていたときに飲ませ、旅をしていたときに宿を貸し、裸のときに着せ、病気のときに見舞い、牢にいたときに訪ねてくれた。」しかし、その他と立ちは戸惑って、わたしたちがいつそんなことをしたのかと言いました。そこで、王は答えられた「はっきり言っておく。わたしの兄弟の最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである」(マタ25:35-40)
神に仕えるのであれば、教会の兄弟姉妹に仕えなければなりません。
ある人のことを良く知って、交わって、ある程度関係を築いたと思います。しかし、これだけで友達の関係に止まるだけです。病気のとき、面倒を見て、お腹がすいたとき、食べさせて、悩むとき、慰めてあげないと、深い関係にはなりません。
神に対しても同じで、もちろん神は病気しないし、お腹すかないし、悩みませんが、いわゆる神に仕えることです。これが第三のステップで、最も神と関係を深く築くことができます。では、どうやって神に仕えるのでしょうか?
本当のキリスト者とは、聖霊が内に宿られている者です。そうであれば、本来、神の属性(愛など)が現れるはずです。ところが、キリスト者といえども、その言動がとてもキリスト者とは思えない人が結構いますね。それはなぜでしょうか?
結論から言いますと、霊の実がまだ結ばれてないからです。霊の実とは、愛、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制です、この実を結ぶためには、神との霊的な交わり、すなわち霊的な訓練が必要不可欠です。
神との関係を築くことによって、私たちは完全な人になります。